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Posted by さがファンブログ事務局 at

2011年05月12日

ボリビアでも佐賀弁が通じる?!

みなさま、こんにちは。

そしてそして、ご無沙汰しておりましたhappy02

今回は、ボリビアで野菜栽培で活動されている鶴田 善久隊員からの報告です。



みなさんこんにちは。


南米ボリビアにおいて協力隊活動を行っている伊万里の梨農家です。今回は任地であるサンタクルス県サンフアン市の紹介をさせていただきますね。

サンフアン市は日系移住地として開拓され発展してきた人口1万人程の町で、現在も250件800名ほどの日系人の方がこの町で生活を行っています。多くの方が九州、特に長崎出身の方で、佐賀県出身の方も何名かおられます。そのためサンフアンでは当たり前のように佐賀弁が通じちゃいます。

それどころか、この町で生まれ育った私と同年代の日系3世たちの会話の中にも佐賀弁が出てきます。彼らサンフアンの日系人は当たり前のように日本語とスペイン語をまぜこぜにして話すバイリンガルなのですが、その会話の中に時々出てくる佐賀弁を聞くといつもほっとしちゃいます。



スペイン語で『私』にあたる一人称は『Yo(ヨ)』なのですが、サンフアン人の若者たちは日本語で話す時も『私』のかわりにこの『Yo』をよく使います。

例えば「私の名前は~です」は「Yoの名前は~です」といった感じですね。この『Yo』がサンフアンに来たばかりの頃は『余』に聞こえてしまって、いつも心の中でどこの上様ですか(笑)とつっこんでいました。


「余も遊ぶ~~(゚∀゚)」とか言っているちっちゃな将軍たちを見るととてもほのぼのしてしまいますよ。


サンフアンの日系人たちは多大な努力をもって裕福な生活を築き上げることに成功しました。

移住当時はジャングルだった土地を切り開き、周りのボリビア人よりもずっと貧しい生活を行いながらも着実に前進を続け、今では米・養鶏を中心とした農産物の生産でボリビア経済に貢献するほどまでに成長しています。

経済的差が大きくなると外の国から移住してきた人々は以前よりその地に住んでいた人々から妬みに似た感情を覚えられる事も少なくありませんが、多大な努力の上での成功である事を周囲の人々も理解しているため彼らサンフアンの日系人はむしろ羨望や憧憬に近い友好的な評価を受けています。


私の主な活動先はサンフアン日系人移住区より40km程離れた、高地より移り住んだ方々が暮らす日系人移住区より新しい集落です。

そのため直接的には活動の要請内容はサンフアンの日系社会を対象としていません。

事実配属されるその時までサンフアンという町がここまで「日本」であることを知りませんでしたし、日々の生活でスペイン語より佐賀弁を話す機会が多くなるとは思っていませんでした。ですが偶然か運命か巡り合う事になったこのサンフアン日系社会、私の人生において大きな財産となるこの出会いを大切にし、いつかここサンフアンが自分の第二の故郷であると胸を張れるように馴染む事ができればと思っています。


  


Posted by JICAデスク佐賀 at 10:24Comments(0)佐賀県出身JICAボランティア
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